『地球を歩く』まとめ

1984/12/12 自然の危機を訴えた晩年の講演『地球を歩く』


最初にお断りしておきますけれども、
私はあんまり話が上手じゃないと自分で思い込んでるんで、
まぁ我々の間には色んな業界用語と言うと怒られそうですけども、
小説家同士にしか通じないような通り言葉がいくつかあるんですけれども、
例えば、
「食べ物と女が書けたら一人前だ」とかね、
それから、
「主人公が一人歩きするようになったらその作品は成功だ」とかあるんですが、
そのうちの一つに、
「話が上手になったら小説が下手になるから、講演はほどほどにしとけ」と
テレビなんか出たらあかんとは誰も言いませんけれども、
そうゆうことになってるんで、
そのため、文学のためにもですね、
本日は私はわざと下手な講演をしなければならない、
という宿命を負わされていることを光栄に思うんでありますが。
退屈してきたらどうぞご自由に立っていって下さい。

それで私は小説を書くことと、最近魚を釣ることを職業にしてしまったんで、
小説を書くことと魚を釣ることしか出来ない。
で、文学の話をしてもいいんですけれども、
これは毎夜毎夜、机に向かって夜中に一人で酒と妄想とタバコにふけって、
原稿用紙を重ねてそれを明くる日出版社に渡すだけで精一杯で、
もう思い出すだけでもヘトヘトの思いになるので、とてもこれはしゃべる気になれない。

それから魚釣の方はどうかというと、
これはちょっと経験があるのでしゃべりたいんですけれども、
ロシアに古い諺があって、「釣りの話をする時は両手を縛っておけ」と、
こうゆう話になるんで、だからのろけのような話ばっかりになって法螺吹きになる。
小説は、「嘘を通じて人生の真実を語ることである」と言われてるから、
私は天職として嘘つきである。
第二の職業として法螺吹きである。
嘘のうえに法螺が重なるともうどうしようもないですから、これは避けなければいけない。
とゆうことになるとだんだん話することがなくなってしまうんですけれども。

いつか岩波書店の講演で随分前になりますけど、
信州の長野へ行ったことがあるんですが、
先輩の小説家から、
「岩波書店で信州長野へ講演に行ったらエラいことになるから気つけろ」
と言われてたんですけども、
小説家というのは家の中に籠ってばっかりいるから、
何でもいいちょっとでも経験出来ることあるならやった方がいい、と思って出て行ったら、
前列十列ぐらいですかな、ノートと万年筆を出してひたとこちらを見つめてる方ばっかりで、
いくら長野県が教育県だからと言ったって、
小説家の話を講演をメモに採られたんじゃもうたまったもんじゃないと思ったんで、
私がやるのは夏目漱石が和歌山でやったような講演ではないから、
そんなノートやら万年筆をおさめていただきたい、
そうでないと出来ませんからと言って頼んだんですけれども、いっかな聞くふりもなく、
ただまじまじと勢い凄まじくこちらを見つめてらっしゃるんで、辟易したことありました。

その逆が我がふるさとの大阪で、
有沢広巳という経済学の先生と一緒に行ったんですけども、
この先生が先に何か経済の話をしたんです、
すると前列三列やっぱり鉛筆と紙を持ってるやつがいるんですけども、
ちょっと長野県とは風体が違うんです。
それで有沢先生が楽屋裏へ引き返してくると、
その前列三列がみな立ち上がって楽屋裏へなだれ込んで、
「今年下半期と来年上半期の景気はどないなりまんねん!」
とゆう風なことを先生に聞いてる、
先生は、「そんなことがわかるくらいなら経済学なんか勉強せーへんわい」
と言ってごまかしてるんですけれども、
私が出て行くと前列三列空いたっきりで誰も戻ってこない。
両極端なんですけども。
人間は個性があるから、個性のあるこうゆうはっきりした国は何かあるんやろう、
と思うことにしたんですけども、はなはだ寂しかったですね。
寂しいのやら強迫観念におされるのやらで、
煮られるやら冷まされるやらという思いであります。

それでまぁ私は30代、
現在53歳をもうあと何日かで終わりつつある波間に没する世代なんですけども、
会社行くと窓際ですけれども、
30歳ぐらいからいくらか生活にゆとりができたのと、
それから日本経済が復興してきて、国庫にいくらかドルが貯まるようになったんで、
外国へも行けるようになって、それからほっつき歩くようになったんですが。

まぁこのごろよく言われるのは、
「地球は狭くなった」という言葉なんですけれども、
成田を飛び立ってウトウトしてるうちに、
目が覚めたらニューヨークに着いてたとか、パリに着いてたとこいうことになるわけですね。
それでおっかなびっくりニューヨークへ入ってく、パリへ入ってく、
で飲んだり食ったりしているうちに、
フランス人もアメリカ人も同じじゃないかということを発見する。
やっぱりマクドナルドのハンバーグがあったりして、
「人間どこ言っても同じやなー」とゆう風な感銘を抱いて帰っていく。
それで地球は小さくなった狭くなったと、
コミュニケーションと運搬の手段の発達のおかげでそうゆうことが言われるようになったんですが、
もう一方よくよく立ち止まって物事を見直してみると、
「ほんまに小さくなったんやろか」と言いたくなることも多いんですね。

例えばですね、パリという街がありますけれども、
香水とファッションと高級文化ということになってるんですけども、
しかし以外に報道されてない面はたくさんありましてね、
私はパリが好きで随分なけなしのお金をはたいたんですけれども、
ヨーロッパの都でですね、その人口に比べて石鹸の売上が一番悪いのはパリなんです。
というのはつまり不潔だということなんですけども。
これが以外にいつまでたっても報道されないんで、これはどうゆうことかと思うんです。
私がパリをウロウロしだしたのは、もう今から20年も昔なんですけども、
依然としてかわってないんです。
それから全ヨーロッパの首府で、街角で立ち小便をしておる、あるいは橋の下でウンチをしておる、
堂々と、憚ることなく、やる奴をみんなが認めている、
こうゆう癖があるのはパリだけなんです。

ニューヨークもですね、したたかにおしっこの匂いが立ちこめておりまして、
これがまた行ってみるまでわからなかったんですけれども、
地下鉄を降りるともう、酸いような甘ったるいようなおしっこの、
出たての匂いも、三日経ったような匂いも込めてですね、ムラムラムラッと鼻先へきて、
これはニューヨークのつもりやのに、パリへ来たんかと思ったくらいですけれども。
どうゆうものか、食事のせいか何か、一種独特の甘ったるいような匂いがしますね。
何のせいでしょう、コカコーラの飲み過ぎやろかと思うんですけども。
あ、これはパリの匂いやと、同じ匂いです。
東南アジアへ行くとちょっとまたこの系統がかわってきますけどね、匂いが。
食べ物のせいでしょうね。

これがまたニューヨークが、
ティファニーだブロードウェイだというようなことばっかりみんな言ってますけども、
したたかにウンチとおしっこの匂いがする。
聞いてみるとここ15.6年急速にこうなったんだというんですけれども、
フランスの場合もうちょっと伝統があります。
長い、昔からなんです。
「セーヌの橋の下で」と言いますけれども、
事実セーヌの橋の下でみんな、「Je t'aime」なんてやってますけれども、
その横はうずまきパンの氾濫なんであって、いやホント、
これはテレビがいつか報道するんじゃないかと思って私はみてまして、
私はテレビはほとんど見ないんでよくわかりませんけれども、
セーヌの橋の下はうずまきパンだらけやでとゆう、
あるいは柔らかくなったのでカレーライスやで、
とゆう風な風景をドキュメンタリー番組で紹介したことがあるか、
と若者に聞きますが、
知りません、存じません、見たことありませんと言うから、
依然としてフォブール・サントノレがどうのこうの、
とゆうようなことばっかりやってるんじゃないかという気がするんです。

これはフランス人の、強いて言えば長い文化的伝統なんであってね、
「esprit gaulois」という言葉があるんで、
ゴーロワ精神と言うんですが、これがフランス精神の元祖になってると。
これは自然なるものを愛する、豪放快活磊落にやれ、というところがありまして、
飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ大歓迎。
ついでに出す方のあれも大歓迎。
ベルサイユ宮殿時代という時代がありまして、
それからフランス大革命という流血の大時代がそのあとに続くんですけれども、
ベルサイユ宮殿というと近頃なんだか、
「ベルサイユのバラ」とか何とかいうのが氾濫しているとかちょっと前まで言われてましたけども、
エラいヒットしてるというので、私もたまたま出版者に頼んで持ってきてもらってみたら、
要するに宝塚ということなんですけれども。
あんなもんじゃないんであって、まぁそうゆう面もあったのかもしれませんけれども。
垂れ流しなんですなあれは。
それで水洗便所が発明されてなかったか。

私の話はこうゆうことばっかりじゃありませんけれども、
こうゆう話からはじめたら落ちようがないから、あとは上がるばっかりだと思っていただきたい。

ウンチからおしっこから垂れ流しで、
それからこれ大事なことなんです、誰も研究しようとしない、
家の戸口ばっかり研究してて裏口を研究しないからこうゆう片手落ちになるんですが、
女官ね「Je t'aime」という女官、
これが香水の匂いを漂わせながらやってらっしゃるのは、立ったままでのおしっこなんであって、
上体をややかがめる程度、とゆうのではニュージーランド原始人とあまりかわらない。
でもう中庭がそれらのもういっぱい、
で大革命も終わってベルサイユが廃墟と化して、
それで当時ベルサイユの宮殿で女官生活を送っていた、もうおばあさんになったのが、
たまたまベルサイユへとことこやってきて、その匂いを嗅ぐやいなや、
昔は美しかったであろう瞳を潤ませて、「あぁこれがあの時代の匂いだわ」と言ったという。
あの時代の匂いというのがその匂いなんです。
そうゆうことを何とも思わないで、それをまたぎまたぎやっておったんであるわけでして、
その気風がいまだに伝わっているから、
セーヌの橋の下はうずまきパンだらけということになるんです。これホントです。

でこのようなものを文化と、
で文化と文明はどう違うかというと、色んな理解のしかたがあるんですけれども、
私なりに解釈すれば、文明というのは電話とかテレビとか原爆とか水道というふうに、
よその文化圏へ容易に伝えることが出来るもの、これが文明である。
それから文化というのは、よその文化圏に伝えることが出来ないか、
はなはだ伝えることが難しいいもの、これが文化。
で垂れ流しと、要するにキジうちですね釣り師のいう。
自然なるものを愛する、とだんだん言葉がかわっていきますけれど、
こうゆう習慣は、ロンドンにもあんまりないし、ベルリンにはまさにない、ミュンヘンにもない、
マドリッドの裏町にちょっとありますけれども、そしてそれをみんなが許し合っている。
酒に対してもフランスははなはだ寛容で、酔っぱらって自動車を運転しててもお咎めにはならない。
あんまりひどい時にはエラいことになりますけど、大変寛容なんです。
垂れ流しやら酒に寛容という点では日本とちょっと似たところがある。
こうゆうものはですね、これからどうゆう時代が来るかは私はわかりませんけれども、
今後もなかなか変わることはあるまいと思うんです。

そうゆう目で見ていくとですね、
日本人に理解出来ない世界地図というものがあるということに気がつくんですが、
例えばその一つが宗教とゆうやつですね。
我々はご存知のように、教養や哲学、趣味としての宗教はあるけれども、
ほんとに信じ込んでの宗教の信心者というものは、
宗教の宗派の如何に関わらずそうたくさんはいないと思うんですけれども。

回教徒の国へ行きますと、
お祈りの時間になると、空港のオフィスで働いてるのがにわかにこのぐらいの毛布をパッと広げて、
メッカ、メジナの方を向いてお祈りをはじめる。
ちゃんとネクタイ締めたままでですよ。
それが終わると立ち上がって、「どちらへおいでですか」とか元の事務をやりだす。

これにぶつかるとはたと私は壁にぶつかったような気がして、ただもう呆然と見てるしかない。
そうゆうことが度重なっていくに従って、
世界地図とゆうものを日本人向きに一遍書き直してみる必要があるのんと違うかと。
宗教ということになると日本人はまず理解出来ない。
日曜に教会へ行くということも、習慣としては理解出来るけれども、その心が理解出来ない。
一事が万事そうゆうことになってきてる。
とゆう風な目で見ていくと、我々の素直に入っていって、
そうゆう壁にぶつかったような思いをしないですむ、地帯、土地というものは、
地球上は非常に少ないということを気付かせられるんです。
ビジネスだとか、そうゆう女の話なんかをしてるぶんには、
そうゆうことは出てこないんですけれども、
ひとたび話が信仰になるとか、信仰の時間にくるとか、
信仰の日にあたるとかになると、バタッとわからなくなる。

例えばユダヤ人とアラブ人が揉め事を続けておりますけれども、
このユダヤ人の建てた国はイスラエルですけれども、
ここへ行くと、金曜日の夕方の一番星の出る時から、明くる日の土曜日の夕方の一番星が出るまで、
これをシャバットと言いまして、
24時間、火を使っちゃいけない、外を出歩いちゃいけない、働いちゃいかん、
それから火の入った料理を食っちゃいかん、刃物使っちゃいかん、あれいかんこれいかんで、
24時間ひたすら家に籠って、本を読むか、奥さんと愛し合うか、冷めた料理を食べながらね。
こうゆうことになってる。

それでナチスの大佐がアルゼンチンで捕まってその後裁判が、
戦争裁判がエルサレムであって、私はそれを傍聴に行ったんですけど、毎週これなんです。
それでもうヒタッと猫も一匹も歩いていない。
それで原稿を書いてそれを至急送って、東京の出版社に送らなきゃいけないんで、
私が原稿を持ってあたふたと駆け出してくるけれども、空港まで走ってくれるタクシーがない。
散々エルサレム中歩き回ってやっと一台見つけて、拝み倒して行ってくれと、
で飛び乗ってエルサレムから出ようとすると、
ユダヤ教のおじいさんですなぁ、ひげを生やした、
これがやって来て、道ばたの石ころを拾って、
よろよろしてるんです、何をするんだろうと思ってると、
私の乗ってるタクシーにドカーンとぶつけて、
「シャバットの日にうろうろ出歩いている罰当たりがいる」と言っている。
運ちゃんも悪いということを承知の上だから、
「しょうがないなぁ」と言って、
おじいさんを怒鳴り返すこともなしに、すごすごとそのまま行くんですけど。
戦争になったらどうするんやと言いたくなるんですけども。
一方イスラエルを攻めるアラブの方はアラブの方で、
毎日お祈りの時間が来るとひたすらお祈りをしてる。
両方ともはじめっからそればっかりやってたらいいじゃないかと言いたくなるんですけれども。
終わると途端に銃の安全装置を外して、
さぁ戦争しようか、これなんです。
こうゆうことになると私は本当にわからなくなるんで、
頭の中の地図からまたしてもわからない国が一つ出てきた、と消していかずにいられないんです。

ベトナム戦争でもそうだったんですよ、毎日昼寝の習慣があるんです。
私が行くようになったのは1964年頃からでしたけども、
それから10年間にわたって三回行ってるんですけども、それで従軍したりしてるんですが、
従軍しててゴム林の中を歩いてて、昼飯を食う、
食い終わるとみんなそこで倒れて昼寝してしまうんです。
本当に昼寝するんです。
それではじめの頃は何のことやわからないで、
こんなことしてたら、ここへ迫撃砲が一発落ちてきたらエラいことになる、
と言って騒いでるのは日本人の小説家だけなんですけども。
それでアメリカの士官をつかまえて、
「こ、これ何や?」と言うと、
「いや向こうも寝てるんや、俺も寝るよ、お前も寝たらどうだ」と言う、
それではじめのうちはイライライライラして寝ることも何ともできない、
そのうちにだんだんだんだん図太くなってきてですね、
飯食わぬさきから眠気がこみ上げてくるようなことになってきたんですが、
毎日が夜がなくて、
午後一時から四時まで時間だけしかあの国にはないということになれば、
永遠に戦争はありえない、と言いたくなるくらいひっそり閑としてるんです。
田舎も街もですね。
犬も歩いていない。
そうゆう戦争なんです。
四時頃になると、うわーよう寝たな、ほんならいっちょやるか、とゆうので戦争をやりだすんで、
付き合いきれないという印象がありましたな、当時の間は。
だけどもその中へ入ってみるとそれが当たり前なんで、そうゆう流儀でやってるんだと言うんです。
こうゆうこともなかなかわかりにくいことの一つです。

だからお月様へ行くロケットの中にですね、
何でもいい好きなものを一つだけ選んで持ち込むことを許すといえば、
アメリカ人ならコカコーラとハンバーグを持ってくるでしょうし、
日本人なら近頃大分危ないですが、
みそ汁の魔法瓶につめたやつを持って入ってくるかもしれませんね。
ベトナム人ならニョクマムを持ってくるでしょうし、
アラブ人ならクスクスという団子を持って入ってくるかもしれない。
そうゆう風な本来固有なるものというのは、
なかなかに覆ることがないし、むしろ蔓延る気配の方が大きい。
フランス人ならウンチを持ってくるでしょうし、
特にセーヌのポンヌフの橋の下の特製のやつを選んで持ってくるかもしれません。

こうゆうことを考えていくと、地球が狭くなったと思っている分だけ、
フランス人はフランス人、アメリカ人はアメリカ人とゆう、
頑固で容易にかえられないものがあるんだから、
地球が小さくなったとこちらが実感する分だけ、地球は大きくなってるという。
反語ですけれども、そうゆう言い方をしたくなる。
だから迂闊に世界は狭くなったと言っていいもんかどうか、
については問題があるように思うんです。

問題といえば私は30代いっぱいから40代後半にかけて15.6年間、
戦争やら揉め事ばっかり追っかけて歩いてたんですが、
東南アジアの戦争、アフリカの戦争、色々追っかけてたんですけれども、
そのうちにどの戦場やら何やらを描くのも、
みんな同じボキャブラリーを使ってるということに気がついて、
しかしどう考えても自分の才能、能力としてはそれ以外の言葉がないと、
これしか使うしかないという一軍の言葉で書いている。
これではダメだというのに気がつきました。
それで戦争をレポートすることをやめちゃったんです。

それから戦争が終わったからといって、
戦争をしただけのことはあった、と言えるようなことはないと。
例えばベトナムの場合ボートピープルをご覧になると、
その一例だけでわかると思うんですけれども、
ありとあらゆる悲惨やら残酷やらが、あの戦争の間報道されましたけれども、
ボートピープルとゆうようなことは、あの戦争中には一度も報道されたことがなかったんです。
とすると戦争が終わったのにその後にきたものは、
何であるかは知らないけれども、
あのように板子一枚で台風圏の南シナ海へ出て行って、
生き延びられるものやら、死ぬものやらけじめもつかない。
なかには死んだ妹の肉を食べて兄がどうやらこうやら生き延びて、
シンガポールにたどり着いたとゆう風なことも記録されてたりして、
そうすると戦争以上のことがあの国にはあるのか、
一体何のためにあんだけの戦争をやったんだ、と言いたくなる。

そうゆうことも手伝ってですね、
戦争をレポートするのが嫌になったもんですから、それで釣り師に転向したわけです。
転向したとはいうんですけれども、戦場が川岸にかわっただけのことで、
現場で汗水たらして泥まみれになって、蠢いて這い回っているという点では私はかわってない。
現場主義ということではやっぱり同じなんじゃないか、と思うこともあるんですね。

それで魚釣りをやるんですが、
日本国内の釣りはみんなが書いてるし、みんなが知ってるから、
私も子供の時から馴染んでるので、あらためて私が鮎釣りをしなくてもいいんじゃないかと、
それよりもなかなか入っていけないような所へ行って、
あるいはもう絶滅しかかってるとゆう風な魚の前へ一歩出て、
その魚の顔を見て写真撮ってと、ゆう風なことでもした方がいいんじゃないかと。
こう思ってアマゾンへ行ったり、アラスカ行ったり、
カナダの森林に潜り込んだりとゆう風なことをやってるんです。
それで色んな国を渡り歩いたんですが、ここでもまたですね、色んなことを感じさせられる。

で誰も来ない所へ入って行きたい。
釣り師の心理は色々ありますけれども、例えば私は山釣り師ですから、川釣り、山釣りしかしない。
鮭、鱒、岩魚類が好きなんですけれども、
だからこの北海道でも釧路中心に随分通うたことあるんですが、
誰も来ない所、入ってない所、そうゆう所へ行って一人きりになりたい。
まぁ強いて言えば、文明の汚濁から逃げるんだ、
女房や家庭や職業やうっとうしいもんから全部逃げるんだ、
忘れるんだ、偉大なる逃走を試みるんだ、
とゆう風なことはちょっと大げさですかね、万事大げさなのは釣り師の癖ですけれども。

で誰も来ない所、入ったことがない、
靴跡もない、指紋もついてない所へ入って行く、
それで大きな魚を一匹釣り上げると、
妙な心理がここで働いて、ワクワクドキドキして針を外すのに手が震えるんですが、
ふっと後ろを振り返って、誰か見ててくれへんかったかなぁ、
とこうゆう倒錯心理があるんですけれども。
これがなかなか克服出来ないんですね。
猫みたいなものです。
猫はネズミや何かスズメを捕って必ず持って帰ってきますけど、
食べるのでもない、主人に見せたくて持って帰ってきて、
放り出したまんまでどっか遊びにいきますけど、あれに似た心理がある。
誰か見てへんかったかいなぁと。
で見てなかったら何かちょっとつまんないような感じがする。
そうゆう心理があるんですが。

どんどん文明から逃げるんだわさ、偉大なる逃走を試みるんだ、
人間の手のついてない、足跡のない所へ行くんだわ、
とまぁ新聞の見出しのようなことを考えて行くんですが、
よりによって行った所が、これがですね妙なことになる。
例えばバウペス川という川があるんですがね、
これは南米のコロンビアの領土内にあって、アマゾン川の上流地帯なんです。
上流も上流もう源流に近い。
これがいくつもの川があります。
でアマゾンの源流は一つきりじゃないんです。
たくさんの水が集まってきて、大アマゾンになってるんです。
その源流の一つにバウペス川というのがあって、
源流だとは言いながら、なかなか堂々とした風格のある川幅なんですが、
この川まで行ったら、かなり釣り師としてはやった方に入るんじゃないかと思って、
コロンビアはボコタというのが都ですが、
そこで色々もう地図を探ったり、情報を探ったりして行くわけですね。

あの辺はまったくの未開地で、
未開地であるかないかは、マラリアの蚊がいるかいないかを探ればいい、
アノフェレスというんですけれども、
マラリアの蚊は克服しようと思えば簡単にやれるんで、
石油をばらまきさえすれば幼虫が育たない、ボウフラが育たないで殺していけるんです。
でマラリアを克服したといわれてる所なら文明地帯だと言える。
マラリアの蚊が出てくるようなら、まだ文明の及んでいない土地だと言える。
そしたらどうしてマラリアが出てるか出てないかわかるんだ、
刺されてみればわかるというんですけども。

バウペス川の辺りは、真性?アノフェレスというマラリアの猛烈なやつがいますが。
この蚊は妙なエチケットがある。
猛毒の持ち主なのに大変遠慮深く慎ましやかである。
夕方6時から7時までの1時間だけかっきり出演する。
人間の忘年会みたいにだらだらだらだらと止めどなく、
皿小鉢投げ合いするとゆうようなことはしないんです。
そのかわり日が落ちるのが6時、蚊が出るのが6時、
火がついたらうゎーんと出てきて目も口も開けてられない。
こっちはサトウキビ焼酎を飲みにかかるんですが、
これがまた蚊の大好物ときてるんで、
小さな蚊帳を木の間に張って、その間にうずくまって酒を飲まないことには、
もう目も口もあったもんじゃない蚊が飛び込んでくるんです。
これが全部マラリアかと思うとぞっとするんですけど。
で体内時計という言葉がありまして、生物には体の中にですね時間を測定して、
何時に目を覚まして、何時に飯食ってということを指示する機能がある、
懐中時計が入ってるわけじゃないですよ。
クロノメーターが入ってるわけでもないんですけれども、そうゆう機能がある。
これを体内時計と呼んでるんですが、
あのちんちくりんの蚊の中の体内時計が実にしっかりしててですね、
うゎーんときたので時計見ると6時なんです。
うゎんうゎんうゎんうゎんもう目も口も開けてられない、
どこからこんなに出てきたんだろう、今まで一匹もいなかったのに。
それでぱたっと止むんですね。
で時計見たら7時なんです。
これがアマゾンの蚊なんです。

それでそこまで行くのにどうするかというと、
飛行機で行くんですが、DC3という飛行機があるんですね。
今は同じ会社でつくっているジェット機がDC何とかというんですが、これは3番。
第二次大戦を描いた映画をご覧になってると必ず出てくるんですが、
プロペラ二つでですね、ちょっとこうゆう風なとまりかたをするんです。
輸送機に使われることが多いんです、爆撃機にも使ってましたが、
大変によく出来た飛行機なんだそうで、
ワシントンのスミソニアンの博物館に行くと、天井からワイヤーで吊るしてある。
あんまりよく出来た飛行機だからというんで。
これが第二次大戦中に活躍してですね、その後民間の輸送機にちょっと使われたんですが、
ジェット機が登場したんで全部退場して、どこ行ったかというと、
アフリカやら南米に払い下げられたんです。
アフリカやら南米の軍隊が使ってて、
またこれを払い下げて、民間へ払い下げた。
ヨレヨレのクタクタ。
いくら元つくられたときは名機だからといったってですね、もう5.60年になるんですからね、
直す故障したってパーツがないというんです。

この飛行機を一台、空港に客寄せにかわい子ちゃんを一人、
こうゆう風なぐらいで、パイロットが一人もしくは二人、これで飛行機会社が出来るんです。
ものすごい名前がついてる。「エル・コンドル」とかね、「エル・ソル」太陽ですな、
そうゆうのが看板が空港へ行くとずらーと並んでる。
みんなかわい子ちゃんがこちら見てニコニコしてる。
でどれ見てもDC3なんで、どれ乗っても同じやないかというので、
いい加減なところを選んで乗るわけなんです。
危ないことおっかないことったらありゃしないんですけども、
そんなこと言ってられないというわけなんです。

乗ってずぅーっと飛んでいくと、際涯果てしない緑のジャングルで、
あぁまだ地球上にもこんな所があったんかいな、見るだけでものびのびしてくるな、
まだ森林資源はあるぞ、酸素がまだ湧いてるぞという感じがしてくるんですが、
あっちにポツーン、こちらにポツーンと時々赤い穴がある、
これがその飛行場ということになるんですが、セメントも何も敷いてない、草ボウボウなんです。
ただ木が切ってあるだけで。
そこへ上から飛び込むみたいにして入っていく。
でガタガタガタガタポンととまると、インディオのお母さんが子供を抱いてこちらを見ている。
まぁ飛行場辺りに出てくるインディオのお母さんはズロースくらいははいてるか、
ブラジャーは危ないですけどね。
それでニコニコ笑ってて、やっぱりこの人も親類かいなとゆう風な顔をしてるんですけども。

この飛行機には癖があって、降りる時はそれでいいんんだけど、次飛び立てないんですね。
それでどうゆう構造になってるかわかんないけど、要するにプロペラがブルンブルン回らない。
でボタン押したり何かするんだけども全然動かない。
パイロットが平気で、こんなこともあるわさ、とゆう顔をして、
どうするかと言うと、飛行機の後部からロープを取り出してきまして、
プロペラの前に飛び出してる所がある、プロペラの軸の所にね、そこへこうロープを巻き付けて、
で空手チョップで目を詰めて、でロープが地面の上をこう這ってる。
それを乗客一同が持って、掛け声はあの辺でも日本でも同じなんで、
「いち、にの、さん」といってやるんです。
スペイン語だから、「uno、dos、tres」と言ってヒョイと引くんですがね、
そうするとあれは意外に重たいもので、三度か四度やってバタバタとたおれて、
四度目ぐらいにやっとグラッと動くと、ブルブルブルブルブル…回ればいい方なんです。
何度となくやっていくわけですね。

そうすると今度はプロペラが回りだしたら、一列をつくって入り口から乗ったら、
そんなもん5分もせんうちに全員乗れるのに、
南米の人々には行列をつくるという考えが概念すらも成立していない。
ウワァーっと押し掛ける。
いくらヤクザなプロペラだって気流が激しいですから、みんながバタバタっと落ちる。
でまたウワァーっとしがみつこうとする。
そんなことせんでも一列に並んだらいいじゃないかと、
カタコトのスペイン語でやるんですけれども、みんなこんなことしてる。
それで乗り込んでやっと出ていくんですが、
滑走路をヨレヨレヨレヨレとあがって、ジャングルの梢すれすれにこういく。
なかなか高くあがれないで、何度も何度もあがって、だんだんあがっていって、
それから上へいって、ようやく飛んでいくという。

これがしばしば墜ちるんですね。
ホントに。
ボコタの旅館に荷物を預けといて、それで帰って来てからたまった新聞、
私はスペイン語は耳学問だけしか知りませんが、
読むぐらいなら何とかたどれるんでみると、「またDC3が墜ちた」といって、
で手配写真みたいなパイロットとスチュワーデスのかわい子ちゃんと、
乗客の写真がうすらぼけて写ってるんです。
それでその会社がどうやら私たちがボコタを出る時に、
あの会社にしようか、この会社にしようか、
と迷うたその一つの会社だったとゆうことに気がついて、
こっちは何ということはない命拾いをしたというのでホッとするんですが、
行方不明になった飛行機の会社の名前がいいんですがねこれが、
「サテナ」というんです。
ホントですよこれは。
我々が乗ったのは、「ヴェナド」というんです。
「サテナ」というんですがねこれは。
それで飛行機、こんな飛行機に乗って墜ちたら、
今頃東京ではあの開高氏が行方不明になって、
魚釣りに行ったまま飛行機が墜落して死んじゃった。
ちなみにその飛行機会社の名前は「サテナ」というんである。
はじめは信じてもらえないで、テレビのクイズ番組に出るぐらいじゃないかと思うんですけども。

でまぁかろうじて一命をとりとめたんですけれども、
そこからまた今度は、降りた所から川岸まで行って、ぺちゃくちゃしゃべって、
カヌーを一台チャーターして、それで上流へ上流へとあがっていくわけです。
すると両岸は緑の万里の長城という感じで、
斧が入ったことがない、ブルドーザーも入ったことがない、
所々にポツーンとこのインディオの部落がある。
部落というほどでもないんですけど、2.3軒小屋がかたまっている。
でカヌーが結んである。
そのカヌーのお尻についている船外モーターが全部「YAMAHA」なんですね。
これはえらいこっちゃ、ブラジル行った時に日本人と蟻はどこにでもいると聞かされたけど、
こんなアマゾンの上流にまでヤマハのセールスマンが入ってんのか、
これはエラいことになったと思って、よくよく話を聞くとこれが実はですね、
コカインなんですね。

あの辺はコカインが出来る。
コカインは木にならないんですけど、コカという木の葉っぱがあって、
この木の葉っぱはただの木の葉っぱであって、誰にもケジメがつかない。
この木の葉っぱをちぎってきて、塩酸か何かをぶっかけてドロドロにして、
それから何か実験室で機械にかけると白い粉が出来る。
コカインというやつです。
コカインのペットネームというか暗号というか略語は、
コークというんですアメリカでは、コカコーラのコークと同じなんです。
茶色のコークと白いコークとがある。
液体のコークと粉末のコークがあるわけなんです。
これは覚醒剤です。

でコカの葉っぱそのものは猛毒じゃないんで、
これはジャングルに住んでいるインディオが、お祭りや何かで一発気勢を上げたいと、
大きな猿が捕れて宴会が出来た、おめでたいという時にはこのコカの葉を山と盛りあげて、
それをクチャクチャクチャクチャ噛んで、カッカッカッカとなってきて、
それで踊ったり跳ねたりしてたわけです。
何千年何万年と。
それ自体別に中毒だの何だのと恐ろしいものではないんですが、
ケミカルにしてしまうとエラいことになってくる。
私もそのコカの葉っぱをやってみたことがあるんです。
市場へ行ったらいくらでも売ってるんですね。
ただの木の葉っぱです、カサカサの。
こんなもの食ったって思うんで、まぁ食ってみろと言うから、むしゃむしゃむしゃむしゃ食うと、
何か青白くてどんよりした妙にパサパサした面白くないもんですが、
大分我慢して噛んでるうちにいくらかほんのりしてきてシャッキリなる。
という程度なんですね。

ところがこれがご存知のように麻薬中毒の、
北米大陸があるし、全世界へ持ち出されていく。
それからコカインは麻薬だけであるだけではなくて医療品でもあるんで、
正規の病院が正規のルートで手に入る麻薬だけでは
手術の分量に追っつかない、ということを医者に聞かされたことがあるんです。
それで闇で売りにくるモルヒネだとかコカインだとかに手を出して病院が買わなければならない。
そうでないことには手術が出来ない。
そうゆうこともあるということを医者がボソボソ言ってましたけども。

そのコカの木を栽培するわけです、インディオがね。
それにコロンビア国は貧しいんで、
あそこは美女、美しい女ですね、
美女とバナナとエメラルドとコーヒー、これだけなんです。
アメリカのマフィアが金を出して、それでコロンビアのヤクザが絡んで、
それがインディオと一緒になって、奥地でコカの木の栽培をしてやっとる、こう言うんです。
で小型飛行機でどんどん運び出してきて、マイアミへ持っていく、で全世界に配られていく。
こうゆうわけなんです。
でアマゾン領土内ならどこでも出来る。
上空から見てケジメがつかない。
いちいち川から入っていかなきゃならないけども、
あの止めどないジャングルだからみんな二の足を踏む。
その前に警官が買収される、税関が買収される、
大物に限ってごっそり買収されるとゆう風なんで、エラいことになってしまう。

一説によるとコロンビア国は、正規の輸出品で稼いだドルと同じぐらいの金額、
もしくはそれ以上がコカインの密輸出で動いてると言われるんです。
と言うとどうゆうことになるかと言うと、大統領以下乞食までがですね、
使ってる金の半分がキレイなお金、もう半分は汚れたお金、こうゆうことになる。
こうなると一体汚職という概念が成立するかしないか、という問題が出てくるんですけれども。
そこまできてる。

私は文明をふりはらったつもりで、
「サテナ」に乗らないで「ヴェナド」に乗って、どうにかこうにかたどり着いて、
吠猿が叫んでいるだけの、マラリアの蚊がウンウンいる、
またそうゆう所に限ってやっぱり魚や獣はいいのがいますね。
もしくは言い方をかえると、そうゆう所でないと魚らしい魚、
蝶々らしい蝶々が見られなくなってきてるということも言えるんです。
それで文明をふりはらったつもりで行ったんですけども、
現実はそうゆうわけでコカインラッシュであり、
闇のラッシュであり、現代文明の爛熟の最先端であったということを発見するわけです。

そうゆうことが度重なるもんですから、
結局文明から逃げるとか、ゆう考え方そのものがもうとっくの昔に時代遅れになってると、
むしろ認識不足と言いたい。
自分に対して。
傲慢であると。
いくら文明に毒されてそこから逃げ出したいからといって、
文明から逃げ出せるなどと考えること自体が間違ってる、と自分に言い聞かせざるをえないんです。
だから妙な感じでね、エラい思いをして、それからマラリアの蚊に刺されながら、
いくら防いだって蚊には刺されるんです。
マラリアの蚊には刺されるけれども、
すぐ刺されたからといってマラリアになるとは限らないんで、
体が健康で白血球がどんどん活躍してくれてる時なら、
マラリアの蚊が毒を注入しても白血球がそれと戦って抑えてくれる。
体が弱ってる時とか、どっかにケガがある、病気がある時にあれを刺されると、
イチコロでいかれる。
しかしいずれにしてもそんな思いをして、ボコタへ帰って来て、シャワーを浴びながら、
やれやれエラい所まで行ってきて、エラい思いをして帰って来て、
結局の所コカインの生産地というのを見ただけじゃないかと、
文明からどんだけ遠ざかったんだろうか、
とまだ文明にこだわってそんなことを考えてるんですけども。
こうゆうことがよく起るんで、大変に難しい。
南方でこうなんですけれども。

去年私はオンタリオ湖というカナダの大きな湖がありますが、
その北部が北極圏まで大森林地帯になっていて、
これまた飛行機でないと入れない、そこの湖の岸辺に小屋があって、
インディアンの、これはインディオじゃなくてインディアンですけども、
オジブウェイというインディアンですが、
このインディアンのハンターのおじいさんと一緒に10日ほど暮らしたことがあるんですけども。
このおじいさんがよたよたと英語で、抜けた歯で説明してくれるんですけども、
我々は昔は風呂へ入る習慣がなかった。
それには理由があった。
ここら辺はいっぱい蚊がいよる。
蚊は人間の垢の匂いを嫌うんだ。
風呂へ入らなければ蚊は来ないんだ。
我々が風呂に入らなかったのは蚊をよけるためなんだ。
ところが今インディアンのリザベーション、居留地ですね、
これになってみんな政府から補償金もらって暖房のついた家に暮らすようになったけれども、
風呂に入って石鹸を使うようになった。
だから蚊がインディアンを食うようになりよった。
インディアンの若者は、魚も釣れず、獣も捕れず、あれはダメだ。
といって都会へ出ていってもダメだ。
「ならじいさんインディアンの若者は何してるんですか」と聞いたら、
「家のなかに座ってチューインガムを噛んでおる」と苦々しくもこう言っておりましたけれども、
インディアンが蚊に食われる時代なんですね。
別に構わないんですけれども、
インディアンが蚊に食われたって構いませんけれども、
しかし魚や獣についての知識がゼロになってしまってダメだ、とこう嘆いておりましたけど。
これまた文明の爛熟ですなぁ。
あっち行ってもこっち行っても文明なんです。

でアマゾンは偉大なる緑の原野ということになってる。
一方あの膨大な量の木材が日夜を問わず切り倒されてるんです。
ブラジル政府は規則をつくりまして、
ジャングルを切り開いて牧場なり畑なりにする時は、
1/4だったか1/5だったかはジャングルのままで残しておけと、
こうゆうお達しがあると言うんですけれども、見た所そんなの誰も守ってる気配がない。
そうするとですね、アマゾンに関して申し上げると、あそこのジャングルを切り倒すと、
翌日何が出現するかというとサハラ砂漠が出てくるんです。
というのはあそこは海底から隆起して出来た盆地で、
元々土壌というものがない、砂があるだけなんです。
だからアマゾン川は橋もない、堤防もない世界で唯一の川ですけども、
私がもう一つ付け足すとですね、これはどのアマゾンの本にも書いてないんですが、
石ころがないんです。
アマゾン川には。
かなり上流まで行っても石ころがない。
それは石ころのある海底が隆起しなかったからなんです。
町の近くには石ころめいたものはありますけれども、
それは町を切り開いた時につくったセメントをこねたり、
岸壁を造ったりする時のセメントやなんかに使った石ころなんであって、
本来ある石じゃないんです。
アマゾン川は偉大ですけど石ころは一個もない。
だからそれゆえに偉大なのかもしれませんが。

その砂泥がですね、ごぞんじのように雨期になると何メートルと水があがってたまる。
それから乾期になるとそれが引いて川へ戻る。
あそこの木はおかしなジャングルで、
それはあの土地が何億年かかかってつくりあげたものなんですけども、
お互いがもたれ合って木が生えてるんですね。
どっかで一本の大きな木を切り倒すと、バタバタバタバタッと倒れる。
それで木の根っこが浅いんです。
日本の木の根っこの方が土のなかに深く入っている。
いくら土のなかに深く入ったところで栄養分がないんだから深く張ってもしょうがないというので、
浅く広く張っている。
それがお互いにもつれ合って、もたれ合ってたっているのがアマゾンのジャングル。
それで一方で花が咲いてる木があるかと思うと、一方で枯れ葉になって落ちてる木もある。
けったいなジャングルなんです。
よーく見るとそうゆうのが見えてくるんです。

で枯れ葉になってカサカサの砂の上にたまっていく。
でジャングルの日陰があるからいくらかのお湿りで木の葉が腐る。
それで腐葉土がいくらか出来る。
ところが雨がきて、水かさが増して、それをかっさらっていく。
単にお日様がささなくても大地はカサカサに干涸びてるわけなんです。
数億年かかって。
それを切り倒すとどうなるかというと、極わずかしかない土壌の、
土のなかの成分が全部日光で分解されて空中へ、ポッ。
風と共に去りぬとなる。
で同時に土がカチンカチンに固くなって、
ラテライトと言いますけど、レンガのように固くなっちゃうわけです。
第二次植林といって、木を切り倒したあとへすぐ木を植えるということをやっても追っつかない。
日光が激しすぎる。
それから切り倒す面積が一度に大きすぎる。
ブルドーザーでボリボリボリボリっとやってしまいますから。
だから数億年かかった森林を一晩のうちに切り倒してしまう。
それで一晩のうちに数億年かかったアマゾンのジャングルが、
数億年かかったサハラ砂漠と同じ砂漠が出てくる。
これが広がる一方なんですね。
どうするかというんで、だんだんだんだん偉大な国にいながら、
無資源国の日本にいるような恐怖に襲われてくる。

それでですねアマゾン川が世界に貢献してるのは真水です。
世界中の海へ注ぐ、世界中の陸地から押し流してくる真水、
これのうちの1/5か1/4か、それくらいの量の真水をアマゾン川一つが海へ注いでるわけです。
で海を養ってるわけなんですが、同時に膨大な量の酸素をもつくってる。
ごぞんじのように木が炭酸ガス呼吸をしますから。
そうするとですね、その木を切り倒すということは、砂漠を生むということであるが、
同時に酸素の発生源をなくしてしまってることであると。
こうゆうことになってきますね。
エラいことになるんやないかと私は思うんですが、戦々恐々として帰って来たんですけども、
そのことは本に書きましたけれども。

そこで私は行きませんでしたけれども、
ブラジルのアマゾン開発大臣とゆうようなところへ行って、
おそるおそるびくびくもので、
「セニョール、世界の酸素と水のためにアマゾンを乱伐するのを
 ちょっと抑制して、コントロールしていただけませんかなぁ、
 アマゾンで酸素が発生しなくなると、東京へも酸素が流れて来ないんで、
 地球は回転してるし、空気は回転してるし、おたくが砂漠をつくると、
 こっちが窒息するという時代なんですが…」とこうおずおず申し上げる。
すると向こうは丁寧に南米風にですね、
「わかりました。おっしゃる通りです。コンプレンド(comprendo)わかった」と言う。
でやれやれこれで守ってもらえたかと思うと、
ポッと顔をあげてですね、丁寧な口調で、
「ところで一つお尋ねしたいんですけれども」と言うので、
「何でもどうぞ」と言うと、
「日本とかアメリカとかヨーロッパとかゆう文明先進国なるものは、
 それぞれの祖国の自然をなにがしか損なうことで、
 近代文明をつくってきたんじゃごわせんか」と言うんで、
「その通りだ」とだんだんだんだんこっちはうなだれていくわけです。
山を削り、木を切り倒ししてダムを造り、
それから森を切り倒してレールを敷き、鉄道を敷き、
とこう色々数え上げられると、
「その通り、その通りです」だんだんうなだれていくわけです。
「そうするとあなた方だけは、文明生活をしていてよろしい。
 しかし我々は世界の酸素と水とを守るために、
 いつまでもふんどし一本のインディオ並みのロウソクもない
 生活をしろとおっしゃるんですか」とだんだん向こうが声が高くなってくる。
そうすると皆さんならどう答えますか、
これはもう至るところでこの答えにぶつかるんです。
彼らがそれを口実にしてるということはわかりますが、その口実には論拠がある。
それで結局のところはですね、
「わかりました、すんません、あなた方も文明、そのインディオ並みの生活をせんと、電灯のつく、
 クーラーのある、コカコーラも飲める、そうゆう生活をして下さい」
そうすると、「ジャングル切り開いてよろしいですな」と向こうは言うんで、
おびえながら、「ほどほどにしといて下さい」
ほどほどにという言葉しか出てきようがないんですね、私の考えたところ。

ブラジルのインテリ、サンパウロ大学の先生、
それから旅行中に知り合った色んなインテリと、この点何度話し合ったか知れないですけれども、
まだ大丈夫だわ、まだ当分はブラジルのアマゾンはある、
ジャングルはあるということを言う人もいるんですが、
人類がかつてやって来たことを振り返ってみると、
まだある、たくさんある、今は大丈夫だ、こうゆうので乱獲やったんですね。
これでダメになった動植物がどんだけあるか、とゆうことになってくるわけです。

だから先にウンチの話をしといたおかげで、どんどんどんどん高級な話になってきたでしょ。
小さな説を書いてるから小説家といわれるのが、こんな地球大のことを心配しだしたんで、
私は大説家にならなきゃならないんですが。

こうゆう現象がどんどんどんどん蔓延ってきてる。
とゆうことはもうおそらくあの賢き退屈なNHKも、
私はテレビを見ないのでわかりませんけれども、どんどん報道してるんじゃないかと思うんです。
報道はするけれども、テレビで報道したってダメなんで、真面目なことを報道したその後で
すぐにあちゃらかが入ったり、コマーシャルが入ったりするから、ポッとみんな忘れてしまう。
それで放送会社の方は、放送したという良心が満足させられてるんで、
だからここに最大のトリックがあると私は思うんですが、
まぁ仮にNHKが同じことを退屈に報道したってかまいませんよ、
それと同じことを私は言うてるのかもしれませんけれども。
そうゆうわけでどエラいことになってる。

それで19世紀の中頃までですね、アメリカで旅行鳩という鳩がいたんですが、
これはもう当時の記録を読み返してみると、何億という数で、数が知れなかったんです。
で旅行者が鳩が大群をなしてわたっていく、
その下を馬で歩いてたんだけど、8時間かかってもまだその群れがつきなかった。
一日中空が暗かったとゆう風なことを書いてるんです。
鳩の群れのためにですよ。
これがたまたま肉がおいしかったんですね。
それではじめのうちは散弾銃で獲る、トリモチで獲る、投網ひっかけて獲る、かすみ網で獲る、
だんだんだんだん大げさになって、最後には大砲を持ち出してきたやつがいて、
大砲のなかに散弾を込めて、ドカーンと発射すると、何百羽というのがいっぺんに死ぬ。
そうゆう獲り方をして十羽ひとからげで一セントだったとゆう、
樽詰めにして売ったりしてたんです。

そうするとこれがもう一回の産卵期に卵一個しか産めない鳩だったんですが、
何しろ何億といるんでまだ大丈夫だと言ってるうちに、
最後の一羽がとうとうセントルイスだったか、
どっかの動物園で息を引き取ったんです。
これは動物が姿もなく音もなく、姿を消していきますけれども、
絶滅というので、最後の一羽が息を引き取ったのが見届けられている動物の一つなんです。
希有な動物なんです。
これはもう人間に手で回復のしようがない。
みんな当時大丈夫だ、これだけいるんだ、当分大丈夫だ、と言って飲めや食えややってたわけです。
しかも鳩ですからなぁ、主要食品とはいえない、おいしいことはおいしいけれども、
彼らにとっての主食はビーフでしょうからね、まぁおつまみ程度のもんだったんでしょうけれども、
それでもこんなていたらくになる。
バイソンもその運命になりかかったので、慌ててナショナルパークをつくって保護にかかって、
今まぁいくらかづつ増えつつありますけど。

で今のうち大丈夫、まだ大丈夫だ、
そんなこと言ってるうちに取り返しがつかなくなった例というのは、無限にあるんで、
ひょっとしたらこのアマゾンのジャングルも、
俺が生きてる間よりはもっと早くどエラいことになんのんちゃうか、
ちゃうかじゃない、現になりつつあるんですがね、
そこに住んでないから自分はわからない、住んでてもわからない、
あんだけ広いんだからとおっしゃる。
あんだけ広いからといってとこう説明したって、
広さがわかってるもんだから、話を受け付けない、
受け付けた人は今度は逆に、
あなた方は祖国の山野を犠牲にして、自然を犠牲にして文明をつくった、
我々はそれをやっちゃいかんとおっしゃるのか、とこうこられる。
そうすると返す言葉がない。
こうゆうことですわ。

魚だけ釣ってればいいのに、こうゆうのがちらちらちらちら目に入ってくるもんですから、
つい気になってこんな所へきて喋ってるんですけど、
「喋って何になるか」と聞かれたら、
「さぁ…」と言うしかない。
問題を提出したことに意義がある、
とクーベルタン男爵は言ってくれてたからいいんですけれども、
クーベルタンはオリンピックだけのことしか言ってないんで、どうしたもんですかねこれは。

大体が文明というのがどだいエラいことなんで、
人類史上こんなに大量消費のめちゃくちゃな時代はないんで、
昔ならですね、
洞窟時代でもいい、石器時代でもいい、新石器時代でもいい、農耕期初期でもいいんですけれども、
畑で麦なり稲なり育てますね、それで実をとってきて食べる。
いくらか翌年に残しておく。
それで麦藁が残る。
それを刈ってきて焼べる。
あるいはランプにする。
つまり一まいの畑で採れたもので生活の光熱費全部を養ってたわけです。
だけど今はどうかと言うと、
やっぱり畑に種蒔いて、それを刈り取っているのは人間の手ではなくて、
ブルドーザーやらカルチベーター、機械になっただけのことで、
大地に育ててもらわないことには植物は生えてこないということでは、
数億年前、数万年前、数千年前とまったく同じなんです。
同じなのに、食生活が大地の略奪ということではまったく同じなのに、
エネルギーの方はアトムだとか、何とか訳の分からないことになっちゃって、
全然違うようになってしまう。
これが乱開発、乱伐、地球が穴ぼこだらけの栄養失調になっていく最大の原因なんです。

それからもっと不景気な話をやりますが、
私は戦争を追っかけてましたから、不景気の専門家みたいなもんですけれども、
ちょっとお裾分けしたいんです。
まだ余裕がおありになると見えるんで、切迫してない。

アフリカの飢餓が伝えられてますね。
年がら年中あそこは飢餓が伝えられるんですけれども、
ナイジェリアという所で飢餓戦争があって、私はそれをルポしに行ったんですね。
それでお腹がこんなんで、三角形のおにぎり頭をしてて、マッチの軸みたいな、
子供、女、おばおじいさん、あの風景なんです。
それで国連やら世界各国やらがどんどんどんどん救援物資を運び込む。
ここに問題がありましてね、かの退屈で賢きNHKの画面に出てくるのは、
その救援物資が配給されてる現場の写真が出てるんだと思うんですが、
子供にいっぱいハエがたかってね。でスプーンですくって、お母さんがその横で呆然としてる。
こうゆう風景なんですが。
そこへ行くまでのからくりが描かれてないと思うんです。
それで港なり空港なりどんどん世界中から救援物資が来る。
それで一国民が救われるとは思いませんけれども、かなりの量になるんですね。
それが現場までたどり着くうちに、どこやら消えてしまうんです。
風と共に去りぬとゆうやつで。
これを貪官汚吏と言うんです。
貪る官吏に汚い官吏の吏。
どっかいっちゃうんです。
これなんです問題は。

そうゆうのがいっぱいいるから、
現地の政府に渡さないで、直接乗り込んでいって飢えてる子供に渡せばいいじゃないかというと、
我々の主体性と独立性を無視したということになる。
その通りですね。
しょうがないこいつらがネズミの塊だと分かっていても、その政府に渡さざるをえない。
政府のやつは涙流して、ありがとうありがとうと、
本当に涙流してるのかと思いたくなるぐらいの涙を流して、
ありがとうと言い、すかさずガバッととってしまう。
それで現場に着いた時にはガクッと減る。
と言っても我々は送り続けずにはいられないんで、送り続けますけど。

それからまた問題がありましてね、
これが議論されてるかどうか分からないんですが、
ああゆう国にもって行く栄養品で、一番効き目があって、一番いいのは何かと言うと、
まぁ色々あるでしょうけれども、コンデンスミルクなんですね。
これは缶詰だし、あっためて飲むにしたら火があるだけで、火もいらない、水もいらない、
プスッと穴開けてその場で飲めばいいんで、
かなりの栄養分が入っていて、大変にコンパクトないいもんです。
でコンデンスミルクが大量に届くんですね。
それをネズミの群れがガバッととっても、現場へはいくらかくる。
それをお母さんが飲むわけです。
そうするとカラカラの体ですから、大変効き目があって、
お母さんはよみがえるんですが、もう一つトリックがある。
受胎能力をまた回復しちゃうんです。
そして人間は生死極まって行き詰まってくると、女の所に逃げ込むしかないんです。
そこらに身に覚えのある男の人いっぱいいると思うんですけども、私もそうですけれども。
女は男を頼りにせずにいられないから、
オギノ式とかそんなことは分かっちゃいない国だし、
分かってたってそんなこと構っちゃいられないし、
真っ暗だし、カレンダー見てる暇はないし、
それでひしと抱きしめ愛の確認をするとポコッとまたお腹が大きくなる。
飢餓が終わらないうちに大きくなる。
ここですわ。
だから一体ですね、これでは一体救ってるのやら、
災害を増やしてるのやら分からないという状態なんですね。
現実を見ていくと。

それでまたアフリカの飢餓が伝えられたかとゆう度に、
私は誰かがそのうちに、コンデンスミルク持っていったらアカンで、
コンデンスミルク持っていったら、受胎能力を回復してまたエラいことになると、
ゆうことを言うやつが私の側近に現れるかと思って見てるけども、
「エラいこってすなぁ」と言うだけで、
「で今月の原稿締め切り」とこうゆうことを言う。
いつまでたってもこれですね。

あのベトナム戦争はですね、ベトナム人同士の殺し合いに、
アメリカとソビエトと色んなものが重なり合った戦争でしたけれども、
サイゴンで見てると、墓場がどんどんどんどん毎日毎日どぉーっと広がっていくわけですね。
政府軍側の方ですけれども。
ベトコンさんの方はジャングルを埋めてるんですけれども、
これでは種族民族絶滅闘争になる、と私は思い詰めていたんです。
ある時、1968年ですがたまたまやっぱり最前線でしたけれども、
魚釣りに行ったの。
戦争しているところへ。
それで皆さんお笑いになる。
私も自分でサイゴン出る時笑ったんで、
人が生きるの死ぬの殺し合いしている最中に魚釣りとは何事か、
といってほっぺた張りとばされたら、素直に黙って右のほっぺた差し出して、
もう一つ張っておくんなはれ、と言おうと思って行ったんですが、
現場へ行くとまったく逆で大歓迎。
それで水を持ってきて飲めと言ったり、村長が出てきてバナナくれたりね。
そっちの所じゃダメだからこっち行って釣れとかね。
エラい優しいんです。
一宿一飯の仁義を尽くしてくれるんです。

それで夜更けに、
当時は私ベトナム語が出来たんで、ヨタヨタヨタヨタしたベトナム語で色んなことを聞くんですが、
川漁師がやって来て、「近頃魚が捕れなくなった」と言うんです。
「それはどういうことだ?」と聞いたら、
漁師はこともなげにですね、
「わしが思うに人間が増えたんやなぁ」とこう言うんです。
「人間が増えたって、こんだけものすごい戦争をしてて人間は増えるのかね?」
「増える増える、そら増えとるで」と言うんです。
それで一生を川で送ってきた男の、現場の男の意見だからこれは尊重せんといかんのやろうけど、
一方あの膨大な墓場の風景が目に浮かぶから、
どうゆうことかしらんと思って迷うてたんですがね、
ベトナム戦争が終わってからですね、
北ベトナムハノイの政府が新しい政治綱領をうちだしてるんですが、
その三つ目、
人口を抑制しなければならない、と書いてるんですねちゃんと。
それだけ人間が増えてるんです。
あれだけ殺し合いしてると思うのに、増えてるんです人間はね。
こうゆうことがあるんです。

だからなかなか物事というのは一面で考えて、
涙流してみたり、怒ってみたりしてもしょうがないんで、
裏の裏まで考えなきゃいけないけど、どこまでいったら裏が無くなんのか分かりゃしない。
それで私はもう小さな説だけ書いて、細々ともう夕日の中を歩んでる世代ですから、
とぼとぼと釣り竿担いで去っていきますけれども、
ここにいらっしゃる若い世代は、これから色んな目にお会いになるでしょうけれども、
どうゆう時代がくるのか私には分かりませんけれども。

だから・・・
結論を一生懸命出そうと思って今さっきから考えてるんだけれども、
どこへこのNHKなみの教訓をもってきたらいいのか、
ただまぁね、私の話にいくらかの救いようがあるとすれば、
今後アフリカの飢餓をご覧になった時に、その写真を見ながら、
救援物資で毛布を送った、色んなものを送ったんやが、それはどこにきてんねやろう、
それから毛布がおそらく現地政府の人に渡される場面は出ると思いますよ、
だけどそれが本当に現場まで届いてるかどうかを、画面見るだけで見ていただきたい。
それからコンデンスミルクを飲んでるかどうかね。
それから飢えてるはずのお母さんのお腹だけが異様に、
子供を含んで孕んでるかどうか、とゆう風なことも見る。
とゆうように眼光炯々と鋭くなっていただきたい。
それぐらいのことは言えると思うんです。
それから緑滴るアマゾンの原野、という字を見たら、
あぁこいつはあんまり知らんやっちゃなぁ、のんきなやっちゃなぁ、
その緑の中に白いコカインが氾濫してる、ジャングルが切られてるということに気がつかないで、
昔の開高さんみたいな甘っちょろいこと言ってるぞと、
ゆう風なことを考えといていただければ、
いくらか講演をした甲斐があるというのか、結論めいてるというのか、
よく分からないんですけれども、
まぁよい質問にはすでに半ばの答えが含まれている、とゆう考え方をするならば、
私の話がもしよい質問であったならば、どこかに答えが半分は含まれてるんで、
それは今晩家へ帰って、お風呂入るか、トイレ入った時によく考えといていただけたらと思います。
えぇエラい長々とあっち曲がったり、こっち曲がったりと、
行き当たりばったりでまとまりの無い話で、

恐縮でした。

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