『経験・言葉・虚構』(7)

普通恋をしているときには恋愛とは何ぞや
と考える人はいないでしょうけれども、
小説家も小説を書いてる最中とか、
書きたいという欲求がおこってきたときには、
文学とは何ぞやということは考えないんで、
小説家の書く文学論というのは、
政党の公約みたいなところがあり、
どうゆうものか約束したことと必ず反対のことをやっちまうとか。

例えば、
サルトルに文学とは何ぞやと文学論がありますけれども、
これを彼の「自由への道」という小説と比べてみると、
全然チグハグになっている。
矛盾している。
そうゆう箇所がいっぱいある。
それを咎めてもいけないような気がするんですね。

それで自分の中でモチーフが動いていない、
小説を書いていない、
あるいは書けない、
自分が生きた心地がしていないときに、
やっぱり文学とは何ぞやというふうな疑いに取り憑かれて、
書いているのかもしれないんです。

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