『経験・言葉・虚構』(16)

例えば、
という話をすると、
去年までは私はすぐに、
インドシナの田んぼで倒れている
殺された農民の目の上にハエが這っていまして‥
という話をすぐ引っ張ってきていたんですけども、
もう戦争の話はつくづく嫌になったので、
今日はそうゆう例えをもってこないで、
もっとやさしいとこから引用したいと思うんですけど。

経験というのにも色々ありますけれども、
例えば私がある女友達と、
例えばの話ですよ、
レストランへ行ったとします。
それでロウソクの、
キャンドルライトで食事をしたとしますね。
キャンドルライトでなくても、
キャンドルライトに等しいような薄暗い中で食事をしたとする。
薄暗い中で光っている、
こちらが大いに関心を寄せている女性の目というのは、
これ以上の宝石はないと私は思っているんですけども。

それでその目ばっかり見つめて
私は食事をし、
お酒を飲み、
楽しんで、
いい気持ちになって、
外へ出て別れる。
別れてから一町ほど行ってから、
愕然とあることに気がつく。
つまり私はその女性の、
女友達の目ばっかり見てたんでけれども、
よくよく考えてみると、
その女友達の目は、
私と女友達の間にある中間のどこか一点か、
もしくは私の後ろ辺りを見ていたんであって、
私を見ていたんではなかった。
ということに気がつく。

例えば、ですよ。
こうゆうのをフランス語で、
アムール アメール(Amour Amer)苦い恋というんですけど。

0 件のコメント: