『経験・言葉・虚構』(21)

それでそれほど苦しんで現実に対応したんですが、
今はそんなに現実に苦しまなくて
次から次へと無数の言葉をつくってきて、
次から次へと発生していく、
あるいは自分が生み出していく現象及び現実に対して
言葉をあてはめていくわけです。
それで今度はどうゆうことになるかというと、
言葉自体が自己展開、
自己増殖を始めて、
現実がないのに、
言葉そのものが現実になってしまうような世界がきてる。
それすらも過飽和になってしまって、
今どうしていいのかわからないという状態があると思うんです。

それでしかし依然としてやっぱり
石器時代に我々を襲った恐怖というか混沌とゆうものは
我々の内部に依然として潜んでいて、
これが人間の影の部分として我々の言動を支配しているんじゃないか
と思われることがしばしばあるわけです。
それが証拠に、
名状に苦しむという言葉がいっぱいありますからね。
名状に苦しむことはいっぱいあるわけです。
それは依然として続いているわけです。
人間の本質はあまりかわっていない。
ただ無数の言葉が出来ちゃって、
その遺産のために背骨が今折れそうになっているというのが
我々の偽らざる所ではないかと、
特に都会ではそうじゃないかという気がするんです。

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