『経験・言葉・虚構』(22)

そこでまたもう一度私が錯覚、
誤解した優しい女の目に戻りますけれども、
で今ライオンはいないので、
私の身のまわりに女の目だけが漂っている、
それでこの目の呪縛から逃げたい、
夜の湖のようなといいましたけれども、
私がその彼女の目、
暗がりで輝いていた目を、
夜の湖のようなという言葉に置き換えることで満足が出来たならば、
もうそれでいいんですけれども、
いや夜の湖のようだというよりはむしろ、
木陰でうずくまっている猫の眼のようだった、
どうもこれでもないらしい。
というので色々考えていくわけですね。
ここから小説の第一歩が始まる、
というか文章の第一歩がここから始まってくる。

稗田阿礼っていうのはそうゆう細かいところを考えなくて、
もっとおおらかな時代に生きてましたから、
ぼきぼきと
あっちでこうゆうことがあった、
こっちでこうゆうことがあったとゆうようなことばっかりを
綴っていったんですけれど、
根本的な衝動ではかわってないだろうと思うんです。

それでその女友達の暗がりで輝いていた目を克服するために、
無数の言葉を使うんですが、
このときにおこることは今度は何かというとですね、
逆の現象が起こってくるんですね。
特に現代では。
逆の現象が起こらなければならないんです。
つまり無数の言葉があるのに、
現実がその言葉から全然感じられない時代にきていると、
それで女友達の目を見てすぐに夜の湖、
あるいは木陰の猫の眼、
という言葉を考えだしたけれども、
それでも彼女の目がつきまとってきて離れない。
その混沌に対して秩序を与えなければならない。
というので私は言葉をつくっていくんですが、
そのときは私がつくったのではない、
人類が数千年かかってつくってきた言葉の中から
いくつかを選び出してきて、
自分なりに配置してつくり出すわけですが、
これは今度はどうゆうことかといいますと、
ライオンという言葉を拒んで、
ライオンというものを直視しようとする態度ではないかと、
ライオンやら女やら何やら
だんだんややこしくなってきましたけれども、
聡明な皆さんはすでに本質を掴んでいらっしゃると思うんですけれども。

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