『経験・言葉・虚構』(26)

明くる日になると、
嵐の明くる日なもんですから、
すばらしい透明な朝がやってきまして、
それで海全体が、
メキシコ産のオパールで「白」「青」「金」の輝いているオパールがある。
「赤」「金」の輝いているオパールと、
二種類オパールがありますけれども、
「白」「青」「金」の輝くオパールみたいに、
海面全体がそのオパールのような輝きになってしまうんですね。
なぜそんなになるかといいますと、
流氷原と言うのはでこぼこなんですね。
厚いところもあれば薄いところもある。
で喧嘩した後ですから海は、
流氷はもうギザギザになっている。
それに日光が当たって乱反射してくるもんですから、
すばらしく美しい。

徹底的に不毛で、
徹底的に純粋なんですね。

それを見ているうちに、
昔自分が求めていたのはこうゆう風なことなんではないかしら
とゆうふうなことを思い出したりして、
危険を覚える。
吸い込まれるような感じになってきて、
こうゆうものをながく見続けていると、
また人間の世界に戻るのにえらい苦しまなきゃいけない。
俺は自殺することが出来ないんだということを子供の頃に悟ったはずだから、
こうゆうものをあんまり見ちゃいけないんだと。
それで汚濁にまみれ苦い恋ばっかりしていてもしょうがない、
人間の世界に戻るより他ないんだと思って戻ってきたんですけれども、
にもかかわらず、
私は人間嫌いの衝動が濃厚にあるんですが、
小説を書いている。
字を書いている。
小説であろうが、
エッセイであろうが、
論文であろうが、
ノンフィクションであろうが、
ルポ、
何でもかまいませんが、
文字を書いているということは、
これは人間の世界に住んでいるということで、
人間に関心があるということなんですね。
関心がなければ、
本当の絶望者というのは何も書かないはずなんです。

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