『経験・言葉・虚構』(28)

昔子供の時に私は、
自分が言葉であまり苦しめられて振り回されるもんですから、
文字とか言葉とかこうゆうカゲロウのようなものではなくって、
音とか色とかゆう風なものには、
絶対音、絶対色とゆう風なものがあるのではなかろうか、
とゆう風な気がしたことがあったんですね。
で極時たまで、
なかなか説明しにくいし捉えにくいんで、
具体例を挙げることが今出来ないんですけれども、
音楽を聴いていると時々ひどい悪魔を感じる時がある。
チラッと悪魔の顔が見えるんですね。
なにか絶対音と言ってもいいようなもの、
音をつくり出してる場合があるような気がする。

音とか色とかいう風なものにはひょっとしたら、
意味のグニャグニャした、
どのようにでもかわりうる意味の世界を拒否したところにある純潔な不毛の、
徹底的に絶対的な境地をつくり出すことが出来るんじゃないか、
ということを子供の時に考えたことがあるんですが、
それで絵描きになりたい、
とか音楽家になりたいという風に思ったんですけれども、
その後小説家になってから
色々な音楽家だとか、
色々な画家と接触して色々話をしてみるとですね、
どうも彼らもやっぱり同じようなことを考えているらしくて、
その絶対音、絶対色という風なものはありえない。
あらせようと思って必死になってやるんだけれども、
そうゆうものは生まれえないんじゃないかと、
そうゆうものを求めようとして別種のものをつくり出す、
それが素晴しいものになるということがあるんだけれども、
絶対音、絶対色というものはあり得ない。

やっぱり人間の世界に、
愛してるか絶望しているかは別として、
憎むか愛するかは別として、
人間の世界に戻って行くより他ない活動なんじゃないか、
という意見を述べる人が多いんですね。
名前を挙げませんけども、
かなり有名な大家、
あるいは大家になるべく予想されるような中堅、
そういった人たちがそうゆうことを言うんですね。
それから同じようなことを言う。
「そうゆうことをしゃべり出したり考え出したりするようになると絵が描けなくなる」
と言うんですね。
「絵が今描けないからあなたそうゆうこと私と話してるんじゃないんですか」と言うと、
「その通りだ」と言うんです。
「それじゃあ小説家と同じだ」と言って、
「じゃあもうこんな話はやめよう、女の目の話をしよう」
今言ったのは嘘で、
「女の話をしよう」と言ったんですけども、
酒飲んで女の話をする。

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