『地球を歩く』(3)

いつか岩波書店の講演で随分前になりますけど、
信州の長野へ行ったことがあるんですが、
先輩の小説家から、
「岩波書店で信州長野へ講演に行ったらエラいことになるから気つけろ」
と言われてたんですけども、
小説家というのは家の中に籠ってばっかりいるから、
何でもいいちょっとでも経験出来ることあるならやった方がいい、
と思って出て行ったら、
前列十列ぐらいですかな、
ノートと万年筆を出してひたとこちらを見つめてる方ばっかりで、
いくら長野県が教育県だからと言ったって、
小説家の話を講演をメモに採られたんじゃもうたまったもんじゃない
と思ったんで、
私がやるのは夏目漱石が和歌山でやったような講演ではないから、
そんなノートやら万年筆をおさめていただきたい、
そうでないと出来ませんからと言って頼んだんですけれども、
いっかな聞くふりもなく、
ただまじまじと勢い凄まじくこちらを見つめてらっしゃるんで、
辟易したことありました。

その逆が我がふるさとの大阪で、
有沢広巳という経済学の先生と一緒に行ったんですけども、
この先生が先に何か経済の話をしたんです、
すると前列三列やっぱり鉛筆と紙を持ってるやつがいるんですけども、
ちょっと長野県とは風体が違うんです。
それで有沢先生が楽屋裏へ引き返してくると、
その前列三列がみな立ち上がって楽屋裏へなだれ込んで、
「今年下半期と来年上半期の景気はどないなりまんねん!」
とゆう風なことを先生に聞いてる、
先生は、
「そんなことがわかるくらいなら経済学なんか勉強せーへんわい」
と言ってごまかしてるんですけれども、
私が出て行くと前列三列空いたっきりで誰も戻ってこない。
両極端なんですけども。

人間は個性があるから、
個性のあるこうゆうはっきりした国は何かあるんやろう
と思うことにしたんですけども、
はなはだ寂しかったですね。
寂しいのやら強迫観念におされるのやらで、
煮られるやら冷まされるやらという思いであります。

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