『経験・言葉・虚構』(32)

一つだけ経験したことがあってそれを申し上げますとね、
70年に私は小説を書こうと思い立って、
山の中に籠ったことがあって、
新潟の山奥で当時は道路がついてなかったんです。
電灯もきてなかった。
湖のほとりで、
こんな岩魚が、
釣れたらこんな岩魚がいるぐらいの湖なんですが、
そこで籠りましてランプで暮らしてたんですが、
文壇に小説家の数は多いけど、
三ヶ月間ランプで暮らしたのは私ぐらいじゃないかと思ってるんですけども、
そうすると心身頓に壮快を覚えですね、
一切合切空無と化してしまって、
字が書けないんですね。
全然書けない。
それは私がちょうど小説がまだ熟してなかったんだと
後で弁解することにしましたけれども、
あんまり健やかで、
美しくて、
透明でとなってきますと、
何しろこうゆう混濁した水道の水なんか飲まないで、
岩魚の住んでる山の清水を飲んでるわけですが、
水道栓から山椒魚が飛び出してきたりする。
そうゆう山小屋なんです。

それで山小屋のおっさんとルンペンストーブにあたりながらランプの灯の下で、
焼酎を飲んでですね、
「熊はどうして捕るか」とか、
それから、
「狢と狸はどう違うか」とかですね、
「狸をつかまえるにはどう攻めるか、穴はどう掘ったらいいか」とゆう風な話ばっかりして、
毎日毎日そんな話ばっかりしてちっとも飽きない。
これは私が都会生まれの都会育ちのせいもあるんでしょうけども、
いかに日頃混濁してるかということをそれで思い知らされる。
それで僕は女についての法螺を山小屋の人に話するわけです。
そうすると向こうは原始人で私より偉いから、
私が法螺を吹いてるんだと言うことを知った上で、
アハアハと笑ってくれるわけですね。
それで、白い女も、黄色い女も、黒い女もみな同じだぞ、
だから母ちゃんを大事にしろ。
とゆう風な必ず教訓がつくんですけれども。
母ちゃんが横で聞いてるから、
それ以上の逸脱は好ましくないわけですね。
山の中だし。

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