『経験・言葉・虚構』(34)

だから清らかな生活が文学を生み出すとは限らないんで、
それで東京へ帰ってきて溝泥のひどい、
そうゆう中で暮らし始めるとやっと字が流れてくるようになってきた。
だから字というのは病の産物なんじゃないかという風な気がする。
かねがねそうは思ってましたけど。
そして病がなければ文学というものも
ひょっとしたら出てこないんじゃないか。
武者小路先生のように人生は楽しくて美しいということを、
十年、二十年平気で淡々とお書きになる、
ああゆうダイアモンドのような人物がたった一人だけ今残ってますけれども、
ああゆう人は大事にしてあげないといけないで、
私は努めて読むようにしてますけども、
アクビしか出ないんで申し訳ないんですけども、
実に羨ましい人なんです。
あの人は病抜きで文学を書いている唯一の人じゃないかと。
何だかの意味で病かキズか
そうゆうものがないことには文学とか文字とかゆうものは生まれてこないんじゃないか、
そこでやっぱりライオンに苦しめぬかれてズタズタになってた
我らの髭だらけの先祖が何とかしてこれを克服しなければ、
というんでそれでライオンという言葉を思いついて彼にあてはめた。
そして意識の空間を埋めて一歩前進した。
そうゆうことをそこでもう一遍再認識するわけです。

えーとぼつぼつ時間が来たようで、
結論が出たのか出ないのか私にはさっぱりわからないんですけれども、
話をしていて結論が出るようだと文学はおしまいだということがあるんで、
このへんで止します。
どうもありがとうございました。



『経験・言葉・虚構』おわり

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