『地球を歩く』(8)

そうゆう目で見ていくとですね、
日本人に理解出来ない世界地図というものがある
ということに気がつくんですが、
例えばその一つが宗教とゆうやつですね。
我々はご存知のように、
教養や哲学、
趣味としての宗教はあるけれども、
ほんとに信じ込んでの宗教の信心者というものは、
宗教の宗派の如何に関わらずそうたくさんはいないと思うんですけれども。

回教徒の国へ行きますと、
お祈りの時間になると、
空港のオフィスで働いてるのがにわかにこのぐらいの毛布をパッと広げて、
メッカ、メジナの方を向いてお祈りをはじめる。
ちゃんとネクタイ締めたままでですよ。
それが終わると立ち上がって、
「どちらへおいでですか」とか元の事務をやりだす。

これにぶつかると
はたと私は壁にぶつかったような気がして、
ただもう呆然と見てるしかない。
そうゆうことが度重なっていくに従って、
世界地図とゆうものを日本人向きに一遍書き直してみる必要があるのんと違うかと。
宗教ということになると日本人はまず理解出来ない。
日曜に教会へ行くということも、
習慣としては理解出来るけれども、
その心が理解出来ない。
一事が万事そうゆうことになってきてる
とゆう風な目で見ていくと、
我々の素直に入っていって、
そうゆう壁にぶつかったような思いをしないですむ、
地帯、土地というものは、
地球上は非常に少ないということを気付かせられるんです。
ビジネスだとか、
そうゆう女の話なんかをしてるぶんには、
そうゆうことは出てこないんですけれども、
ひとたび話が信仰になるとか、
信仰の時間にくるとか、
信仰の日にあたるとかになると、
バタッとわからなくなる。

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