『地球を歩く』(12)

問題といえば私は30代いっぱいから40代後半にかけて15.6年間、
戦争やら揉め事ばっかり追っかけて歩いてたんですが、
東南アジアの戦争、
アフリカの戦争、
色々追っかけてたんですけれども、
そのうちにどの戦場やら何やらを描くのも、
みんな同じボキャブラリーを使ってるということに気がついて、
しかしどう考えても自分の才能、
能力としてはそれ以外の言葉がないと、
これしか使うしかないという一軍の言葉で書いている。
これではダメだというのに気がつきました。
それで戦争をレポートすることをやめちゃったんです。

それから戦争が終わったからといって、
戦争をしただけのことはあった、
と言えるようなことはないと。
例えばベトナムの場合ボートピープルをご覧になると、
その一例だけでわかると思うんですけれども、
ありとあらゆる悲惨やら残酷やらが、
あの戦争の間報道されましたけれども、
ボートピープルとゆうようなことは、
あの戦争中には一度も報道されたことがなかったんです。
とすると戦争が終わったのにその後にきたものは、
何であるかは知らないけれども、
あのように板子一枚で台風圏の南シナ海へ出て行って、
生き延びられるものやら、
死ぬものやらけじめもつかない。
なかには死んだ妹の肉を食べて兄がどうやらこうやら生き延びて、
シンガポールにたどり着いたとゆう風なことも記録されてたりして、
そうすると戦争以上のことがあの国にはあるのか、
一体何のためにあんだけの戦争をやったんだ、
と言いたくなる。

そうゆうことも手伝ってですね、
戦争をレポートするのが嫌になったもんですから、
それで釣り師に転向したわけです。
転向したとはいうんですけれども、
戦場が川岸にかわっただけのことで、
現場で汗水たらして泥まみれになって、
蠢いて這い回っているという点では私はかわってない。
現場主義ということではやっぱり同じなんじゃないか、
と思うこともあるんですね。

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